2011年3月31日木曜日

江差の海

1993年この 沖合の奥尻でも 21メートルの津波で 多くの 人が亡くなったのだ

地震と津波の国 日本に原発は ふさわしくない

電源開発の大間原発は 函館から直近で 18キロメートル

大間原発建設差し止め裁判の勝利を願う

2011年3月30日水曜日

震災支援報告会と激励会

震災支援に仙台に入った職員の報告会と
来週から 岩手に入る支援チームの激励会開催

原発問題が 大きく支援の足を止めている

放射線技師から放射線障害の正しい知識の学習会も開かれた

4月4日からの新配置医師の安定と 札幌医大5年生の実習を成功させて

私も16日から 大船渡に支援に入ります(-^〇^-)

2011年3月29日火曜日

じん肺患者会

当院のじん肺患者は
圧倒的にトンネル鉱夫だ
青函トンネル掘削から始まり
東北新幹線建設にもかかわった患者さんが 多くいる
道南と東北はつながりが強い

多額の震災支援募金が寄せられた

2011年3月28日月曜日

雨ニモマケズ

渡辺謙が立ち上げた
東北大震災応援サイトが人気だ

先ず 宮澤賢治の 雨ニモマケズの 朗読

岩手は アテルイ 平泉藤原三代 宮澤賢治 石川啄木

いにしえ から 近代まで
歴史に名高い人物を輩出した地 なのだ

歌手だけではない
さまざまな分野のアーチストが 活動を始めた

我らは 医療人の本分を 存分に発揮したい

昨夜は金八先生ファイナル

視聴を予定していたが
フジテレビの 上を向いて歩こう
に 釘付けになった

ユーミンを筆頭に
被災者を励ますために
多くのシンガーソングライターが1週間で 集まったと言う

アーチスト達にウィ・アー・ザ・ワールドを に匹敵する 東北応援歌を つくって欲しい

この川は鮫川
津波は 駆けあがってくることはないが
大洪水は 想定されている
我が家は この橋より低地にある

2011年3月27日日曜日

アテルイの里

岩手はアテルイの里だ

西暦802年に蝦夷の長として坂上田村麻呂に敗れ処刑された

ねぶた祭りの起源はこの坂上田村麻呂までさかのぼる
アテルイの雄姿は高橋克彦が小説に描いた

東北 北海道は 古来アイヌの地だった
アテルイが敗れ869年に貞観地震がこの地であった巨大地震と大津波に襲われた

確かに想定外の大津波かもしれない
しかし
東北の海岸は 貞観以来 幾度も津波に襲われ多くの被害をこうむってきたのだ

津波を想定して設計変更を迫った元東京電力の技術者が声を上げ始めた

津波は 想定されていたのだ

対応しなかったのは経営サイド
怒りが わいてきた

津波は想定外とコメントする御用学者は歴史を学んでいない
マスコミから退場頂きたい

隠密八百八町

震災にて最終回が 2週間延びたため
見逃してしまった

結末をみたかったが 再放送の予定なし
ニコニコ動画にもアップなし
お金を払っても NHKオンデマンドと思ったが
アップなし

ノベライズされてると知り 文教堂にはしったら 残2冊
やったo(^-^)o
結末を読んで スッキリ
よかったよ

思わず納得

朝日新聞からの転載

地元利益誘導型議員の代表選手・小沢一郎は どうしてるのかな?
地元選出国会議員の顔か見えない
福島原発誘致で潤った政治家は 何処にいる

民主党も最低だが
自民党政治の復活もごめんだ

2011年3月26日土曜日

昭和30年代

昭和30年代に 私は生まれた
原発の電力にも頼らず
それなりに 便利でつつましい生活を我ら日本人は してきたのだ

郷愁は捨てたい
しかし計画停電を提案する前に やるべきことはあるはずだ

どんぶり横丁の灯りは健在

でも お客さんはいない
日本中の観光地から 観光客激減と聞く
震災のあとなのだから
しかたないでは すまされない
原発事故が暗さの背景にある

2011年3月25日金曜日

当直明けたら

街角に 選挙ポスター
正直 選挙は 延期して欲しかった

まっとうな 政策論争もできない状況

地方選挙準備に
住民票を大量に移動する宗教団体傘下の政党が強行に動き

民主党も 自民党も 反対できなかったのだろう

震災を契機に 地方の時代がくる
日本共産党の出番だ

2011年3月24日木曜日

宅配便集配センター

コンビニ、ネットショッピング、宅急便は平成に入ってから私達の 生活の隅々にいきわたり
携帯電話とともに 便利の 一言のもとに
なくてはならないものと なってしまっている

今回の震災で
私たちの 生活基盤がしらないうちに原発に支えられていることを改めて思い知らされた

首都圏水道の放射線物質汚染は私たちが 目指してきた未来が風の谷のナウシカの世界や手塚治虫が火の鳥で描いた核戦争後の世界と類似した世界では ないのかとの 疑念を抱かせる

私が 生まれた 昭和に戻りたい
あのころは 日本人は貧しかった
でも 明るく 幸せだったような 気がする

東京水道水汚染

ニュースは ネットでみる時代
しかも ビデオでいつでも 見られる

自宅にかえって パソコンを立ち上げたら…
東京の水道水から 放射性ヨウ素が 検出されたため ひらかれた謝罪会見ビデオが 流れていた

首都圏にこのまま 三千万人以上の人間が住み続けられるのだろうか…

計画停電は 来年の夏まで 続くと言う

今回の震災が 日本の国造りの あり方を 根本的に告発するものであることが 明らかになったと思う

1千年に 1回の大震災は日本の繁栄が砂上の楼閣
であったことも 白日のもとに 明らかにした
過ちをおかして 滅んでいった 大文明と 同じ道を辿るのでは ないかと震撼させたニュースだった

2011年3月22日火曜日

終着は

競馬場前
ごくらく亭出発後

五稜郭で乗り換え
25分で到着

函館は 韓国からの チャーター便が 途絶えて
観光は 壊滅状態

早く元気な 函館に戻って欲しい

ごくらく亭

函館は 終バスが早い街だ
産業道路の終バスに 乗遅れると(^_^;)

五稜郭経由で バス 電車を乗り継ぐことになる

そのバス停前の ごくらく亭
しばらく 行ってないな

携帯写真の性能わるく(-.-;)つまく 写ってないけど

牛タンシチューが 甘い店暫くぶりに いきたいな

函館山に登った

大震災の後の故郷をみたくて
函館山に登った

ライトアップは
自粛されているようだが
光は失っていない
こころなしか気持ちが おちついた

この街を津波が飲み込むことは ないのであろうか?

2011年3月21日月曜日

1日に(^_^;)

50件弱の震災関連情報が参加メーリングリストに投稿されるている

災害対応 感染対応 放射線対応 精神障害対応
あふれるばかりの情報

その中に
日常生活に必要な連絡メールが埋め込まれていると 安心する

二日間(^_^;)

ブログを 休んでしまった

私は震災の被災者ではないが
大災害の間に事態も知らずに不満をもちながら のほほんと羽田空港にとどまっていた

大災害が起こっていたことは 通信手段もなく テレビもなく 知らなかった

この数日自責の念が 猛烈に 吹き出して きた

その捌け口を 別にもとめたり
そわそわしている 自分がいる

市民会館で震災二日後に発表予定だった 函館ジュニアドリーム オーケストラの 演奏会が 小学校の 教室でひらかれた
久しぶりに こころがなごんだ

2011年3月18日金曜日

賢治の言葉

今朝の北海道新聞 卓上四季から
宮沢賢治の言葉
僕は僕のために、僕のお母さんのために… みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ
銀河鉄道の夜から…




岩手三陸の被災地の避難所の 子供が お母さんは 役所で 働いてるんだ
私は迎えに来てくれるの待ってるんだよ
テレビを観て 思わずむせび泣いた
この震災で 数多くの孤児が 生まれるのだろう

2011年3月17日木曜日

被災地では

ガソリン 燃料不足が深刻と 聞く
一昨日からの寒波…寒いだろうな

一方原発の炉心を冷やしてくれないのかと 思ってしまうが
昨日の夕刊には 1号機の事故はさておいて 他の3機の事故は 海水注入による廃炉となることをためらった東京電力の判断の遅れとのみかたが 出されている

支援物資を積み込んで
今朝 当法人からの支援隊が 出発する
フェリーから 陸路で仙台に入るので 被爆のリスクは低いが
政府 東電は 事態を正確に 把握しておらず 発表もしていない
もはや チェルノブイリ並と評価されている 危険地帯の近くに 職員を派遣することは 倫理的に 正しい行為なのか?

医療に携わるものとしての使命感で 当然行くべきと言う結論には 簡単にならない

2011年3月16日水曜日

メーリングリストに

被災現地からの 詳細な活動報告を読むと 胸がしめられる
函館でも雪が ちらついたが
ガソリン燃料がない状況では 自転車がたより 雪はつらいと

支援医師の大きな 業務のひとつに
死体検案があると かかれており 少々ショックを受けた

現地で 奮闘している人達には 頭がさがる

が 今回は なにももたない ボランティアは あまり歓迎されない 切迫した状況にあることは 間違いない
欲しいのは 食糧 ガソリン燃料 自前で これらをもって支援に入らねば…
じゃまになるだけ

原発の動向で 当院の支援部隊は足止めをくらっている

2011年3月15日火曜日

メルトダウン

最悪のシナリオが待ち受けている
炉心溶融 一番おそれてきた ことが今 進行している
政府の発表が事実を正確に伝えているとは 思えない
世界最大級の地震なら 世界最大級 チェルノブイリを越える事故を想像しなければ ならない
現地に被爆覚悟で 残る道もあるが
最悪のシナリオに備えて安全地域への いちはやい 避難が 必要であろう

2011年3月13日日曜日

1千年に一度の大地震が

どうして 私達の時代に おこったのだろう

福島原発の爆発
放射線漏れは 今の時点で二基になったと言うが

過去の原発事故の隠蔽工作の歴史をみると 信じられない

1千年に一度の地震には対応していないのは 誰の目にも 明らかになった

16年前に 阪神大震災の時に私は医療支援に 神戸に入った
目を覆いたくなる惨状だったが地域は 限られていた

今回は本質的に違う
町が消えて廃墟になって 被害状況が まったく分からない 地区も沢山あるようだ

深い深い 悲しみが おそってきた

関係の方々には

御心配をかけました
m(_ _)m
無事 函館に 戻りました

被災地の惨状の報道をみると 私の羽田空港での 1泊は 恵まれて いました
(-.-;)
涙がでます

今日帰函

一昨日とは うってかわった 羽田空港

チケット引き換え カウンターが 込み合っている以外は いつもの風景

引き換え 被災地のテレビの惨状には 涙がでる

2011年3月12日土曜日

羽田で合宿

地震の時は 既に機内
地震のゆれは 揺れてるかな♪ って 程度
状況不明のまま 羽田についたら 陸の孤島
津波警報で
モノレール 京急 リムジンバス すべて 欠航
タクシーも こない
携帯つながらず
公衆電話も不通(^_^;)
羽田空港 空港内に 閉じ込められた
ダンボールと毛布が配給され 隙間を見つけて 爆睡(∋_∈)
起きたら メールが 繋がった
大変な地震だったと認識
帰れるかなf^_^;

2011年3月10日木曜日

剣客商売

池波正太郎の剣客商売は
愛読書で
気がついたら本棚の前で読み耽っていることがある

今 さいとうたかをプロダクションと大島やすいちの 二つの 漫画シリーズが 発行されている

この 大作家の文章を越える漫画を描くのは 難しいだろうが
私はどちらのシリーズも楽しんでいる

漫画原作として池波正太郎は 描きやすい展開なのかもしれない

2011年3月9日水曜日

帰ってきた♪

マングース

ご存じ
のだめマングースのストラップ

万歩計に つけてたが 見失しなっていた(ToT)

胸ポケットに入れていたのを 覚えていた 医局スタッフが ゴミ箱から発見♪

お前よく帰ってきたな
o(^-^)o
よかった
ありがとう(^o^)/

2011年3月8日火曜日

アシネトバクター

メディカル朝日に連載中の岩田健太郎ともやしもん コラボ企画
今月は 多剤耐性で社会問題になったアシネトバクター

帝京大学の事件で突然有名になった細菌だ

乾燥に強いので グラム陽性菌のようなグラム陰性菌で 微生物界のマツコ・デラックスだそうだ.

この連載をよんでると われわれ医療に携わるものの敵方の細菌達に 筆者たちは とても愛情をもって接していることがわかる.
それぞれの細菌の個性に高い関心を持って接するところが 岩田健太郎と もやしもん作者の共通点かもしれない.

2011年3月7日月曜日

当直室の朝

題材の写真が枯渇すると
当直室の窓からの写真を投稿している
ブログでは 5回目位だろうか

週末の合宿では 寝たつもりだったが 今朝起きたら体中が痛い

合宿では変な姿勢で 寝込んでしまったからだろう

ここしばらく 雪も降らず積雪もなくなり

春が そこまで やってきた

2011年3月6日日曜日

必死剣鳥刺し

昨年7月公開の 藤沢周平原作 必死剣鳥刺し を やっと観た
豊川悦司の過酷な運命
池脇千鶴の想い
alanの歌声
原作を忠実になぞった 展開は 山田洋次の たそがれ清兵衛の世界とは ことなる アプローチ
殺陣(たて)の場面の凄みが ヒロインのせつない 愛情をかき消して しまったようだ
ちょっと 残念
原作の方が 胸をおしつぶされる重みが あった
豊川悦司を はじめ 最近は魅力的な男優が増えたな

日曜当直

日曜の当直は 気分的に疲れる
休日なのに まったり休めない
でも 今日は この夕焼け空をみて 気分が晴れた

また 1週間が始まる

昨日の合宿は 実り多い合宿だった
朝まで組は 午前5時まで 私は 1時で 耐えられなかった(^_^;)

朝ごはんをすまし 爽やかに ホテルを後にした

2011年3月5日土曜日

医局合宿

第2部 開始
1年間 の それぞれの振り返り…
(笑)に あふれた懇談です

医局の合宿

毎年3月開催の医局の合宿が 始まった

第1部は 普段できない課題の集中討議討議

第2部は個々の医師の1年間の総括発表会

第3部は生き残りゲーム
朝までテレビで頑張るよ
(^_^;)

2011年3月4日金曜日

臨時往診の定番

訪問看護ナースからの コールで脱水患者さんの臨時往診をした
ハンガーに スズランテープが 在宅患者さんの 点滴の定番

帰り道で
一昔は 臨時往診には 家族が迎えに 来てくれたことがある とか 手洗い石鹸が用意されていたとか
しゃべりながら クリニックに 戻った

一昔は 家族にはマンパワーが あったのだ
今は 通院困難 介護家族も高齢

訪問診療 臨時往診の目的もスタイルも 変わったのだ

機敏に動く
今 私達にもとめられている往診スタイルだ

2011年3月3日木曜日

江差木曜朝会

江差診療所の朝会では
毎朝 所長のスライドプレゼンが行われてる

今日から 私も開始
先ずは このブログ の1週間分を 解説することにした

こんな 形で振り返りがあれば プログのブラッシュアップされるかな(^_^;)

さっそく 横浜で 見つけた イイネ! は 横山剣のクレージーケンバンドの キャッチと職員が教えてくれた

木曜の朝

7時半からの 町立松前病院の木村先生主催の カンファランス 出席のため

朝6時に 自宅を出発する朝御飯は 江差町に入った所の ローソンで購入

常連さんに なったな(-^〇^-)
先頃 なじんだ店員さんが 変わった
… 少し寂しい

2011年3月2日水曜日

外来カンファランス

医局で定例開催されている外来カンファランス
医局会議直後の開催のため医師出席率100%
今日はナースがプレゼン

不定愁訴で 定期外受診を繰り返す患者さん

院外のケアマネージャーも参加して もらい 患者背景を探った

うさぎ?

横浜土産で いただいた
携帯ストラップ

ウサギと ばかり 思っていたが(^_^;)
よくみると ネズミにも 見える

ウサネズミちゃんと 命名した

クルミの木

自宅近くの中学校門に
クルミの木が ある
中学生にもなると
関心がなくなるのか 誰もクルミ拾いをしない
ふと…
この クルミの木の下で 考えた
医療の診療報酬はは成功報酬では ない
人体の生理は 予測不能なのだ
このクルミの 木のように 冬は 葉を落とし
春に芽ぶいて
秋には 収穫
人間の営みも 病も 自然の営みの 一つだ