2011年9月29日木曜日

福井大学林教授講演会

救急分野で 圧倒的に 人気の 福井大学 林寛之教授の驚愕講演会が市立函館病院で開催された
林教授の著書を10冊以上も読んだと言う 現在稜北病院地域研修中医師が 果敢に質問
妻の出産に育児休暇をとったことで有名な林先生に 育児休暇の取得について質問
救急医は子育ての辛さを知るべきと
励ましの言葉を頂いた
さて 来月 妻の出産予定の彼は どう 行動すべきか
o(^-^)o


 

2011年9月28日水曜日

小春日和

秋風が 吹いて一息
太陽が眩しい小春日和

今 稜北病院は
医学生 初期研修医 後期研修医が そろって賑やかに 勉強している

とても楽しい日々
医局は 活気に満ちている

若い力が次の時代をきりひらく
若い力を頼んで
病院機能評価受審 新病院建設成功への 確かな 手応えを感じる

2011年9月27日火曜日

稜北病院午後9時

正面玄関のこの ナトリウム灯の暖かい光を気にいっている

遅い会議が おわり 何とか9時4分の 終バスめがけて走る

今日は ショットの時間があった

2011年9月26日月曜日

古代史ものには

目がない(∋_∈)
松本清張の古代史疑 以来私は なんとなく 邪馬台国九州派
魏史倭人伝がらみの 素人向けの新書がでると 先ずは 開いてみて 気にいったら読む
当然 邪馬台国 大和派の書籍とわかったら 読まない
まあ 偏ってかもしれないが 研究者じゃないから
もの事を公正に 見る必要がない
気にいったものだけ読んでいいと思っている
と 言う訳で 購入したが
この本は 邪馬台国論争など 超越していて
倭人伝の資料としての正確さを評価して 素直に読んだら
邪馬台国は 大和なんてそもそも 議論の俎上にすら乗らないことがわかる

2011年9月25日日曜日

下町ロケット

ひと仕事がおわり〓
おそまきながら(^_^;)
直木賞受賞の下町ロケットを読んだ

町工場が大企業の横暴にも負けず
ロケットのキーパーツ作成にチャレンジする物語

ふと自分の病院のことを考えてみる

パーツ納入のための納入先の監査くだりは病院機能評価受審の光景に見える

経営をとるか 次の時代をみすえて 夢を追うか
小さな町工場のなかの 人のぷつかり合い

我が病院の経営 運営 そして夢
考えてさせてくれた

2011年9月24日土曜日

逆光でよく見えないが

病院近くの洋食屋
前にも この ブログにも書いた

当直明けで 明日は休みにて残務整理

こんな日は
五稜郭経由で 帰る

その時使うのが このバス停
久しぶりに 入ってみたいな
函館は 食堂にしてもケーキ屋パン屋にしても個人営業店が検討してる

今日は病棟歓送迎会
残念ながら 欠席だが
月末で 函館を離れる研修医が参加してくれる

また 函館に来て 我々を指導して 頂きたい

ジウ

当直の合間に ジウの最終回を観た

勤務中途中で中断はしたが

アリアドネの弾丸と同じく原作と結末は異なる

原作の伊崎基子の 結末が 胸痛むもの だっただけに
門倉とわかれたあとの 彼女の笑顔で 救われた

アリアドネの弾丸も ジウも この 3ヶ月 楽しませてもらった

どちらも 原作を読んでただけに
テレビドラマ化の 仕上げかたは 気にいった

2011年9月22日木曜日

PCLS

松前町立病院木村先生が運営しているPCLSすなわち
プライマリ・ケア・レクチャー・シリーズに初発表させて いただいた

演題は 院内メディエーターの活動について

しかも 江差診療所から全国発信

遥か 静岡の医師からの コメントもいただいた
インターネットの コミュニケーション力にあらためて感服した

デビュー戦で 緊張し 早口になって 聞き取りづらかったようだが

自分なりに 納得いく発表が できた

このプレゼンにむけての準備でしばしサボり気味だった このブログも また 全力で書きます

2011年9月21日水曜日

久しぶりの寺子屋

明日の プライマリ・ケア・レクチャーを 担当するため

久しぶりに江差に 前泊

宿は 寺子屋の和室

明日朝 早いが
まったりした時間を過ごしてます

ポートフォリオ学習会

勤医協中央病院から 講師を招いて ポートフォリオ作成学習会を 開催した

私たちが 自分自身の学習や仕事を評価する方法としての 多様な形のポートフォリオのあり方に ついて 改めて学習

さらに 病院組織の目標と自己目標が 一致してこそポートフォリオ作成が成功するとの 考えに 参加医師それぞれが ポートフォリオ作成に意欲が生じ

共感の意見がだされた♪

さあ 今日からポートフォリオをみんなで つくろうよ

2011年9月20日火曜日

田舎が元気な国

写真は 先週の土曜の朝日新聞 Be から
アルプスのハイジの モデルとなった街

年間8万人が 訪れ うち日本人が4万人と言う

人口3000人足らずの街に 元気な子供たちがいる
日本は 人口が減ると 子供がいなくなり やがて消滅する限界集落となる

今回の震災では やっとのことで 続いてきた 集落が消滅の危機にさらされている

都会だけが 生き残る国は 今アニメが放送されているナンバー6 のように 空虚な世界だ

田舎が元気な国 地方が元気な国 そんな日本に戻らなきゃ

今回の震災と阪神大震災との違いは この国のあり方を 多くの日本人が 考え始めたことだろう

2011年9月18日日曜日

もやしもんノート

今や知らない人は、いないくらい有名になった
もやしもん

私の 記憶に よれば
もやしもんは のだめカンタービレの ゲストで 登場し 広く知られるようになった

当院安全管理チームのトレードマークである

連載第1回が 農大物語
第2作から もやしもんに かわった

ノートは 農大の校章いり
フジテレビ本社でしか手にはいらない プレミアムもの

東京土産で いただいた
ありがとう♪

八戸せんべい汁

震災支援活動にて 延期された 稜北病院健康まつり開催

残念ながら 雨だった

八戸せんべい汁 は 初だが味も 素晴らしく 絶品だ

2011年9月17日土曜日

わたしの楽しみ

購読新聞は 赤旗と 朝日新聞

赤旗日曜版と 朝日新聞の土曜の Beを 読むのが週末の楽しみ

今週のBe は 浅田次郎
毎朝5時から昼まで小説を書き 午後からは 読書三昧
井上ひさしの後をついで ペンクラブ会長に就任したと言う

寡作な小説家はダメ
古典を読まない作家は語彙が 少ないと 切って捨てる
この言葉は自分にはねかえる
勉強しない医者はダメ
文献読まない医者はダメと切って捨てられた気分になった

浅田次郎 59才 作家としてはまだまだ 若い

私もまた 患者とスタッフとの 語りで
まだまだ現役を続けたい

勉強しなきゃねo(^-^)o

クルミ拾いの季節

近くの中学の校門に クルミの木がある

もう クルミ拾いの時期になった

秋だね

皮がまだ青い
腐るまで ほっといて 皮を剥いたらいいのだが

すぐ拾わないと(^_^;)

何時の間にか 持ち去られてしまう

カラスが 車道にクルミを落として 車に殻を割らせると 言うのは 本当だ

実は二年前に この 校門の前で 目撃した

カラス同士で教えあって全国のカラス界の共通知識になって いるのだろうか?

2011年9月15日木曜日

医療関連感染防止セミナー

先週末 市立函館病院で開催

成功裏に 終ったが
今だ 整然とした運営への称賛の声と 函館市内の大病院が揃いぶみしたことへの興奮がさめやらない

次回開催は 新潟と決まった
未だ訪れたことのない土地にて 是非参加したい

セミナーで紹介された
ジュネーブ大学の手洗いダンスが 大評判

その心は 忘年会出しものに最適と言う ことらしい
先ずは冬季感染症で 忘年会が中止にならないよう 頑張りたい

札幌病院メディエーターセミナー

先週末 私が ブログを4日休んだ原因のひとつ

金曜よる 勤医協札幌病院で開催された 医療安全とメディエーションのセミナー

二時間 タップリ 話させてもらった

チームもやしもんの レクチャーのために スライド作成してきたが

活動が安全対策まで 拡げてきてたので この分野の話しも ちょっと 得意になってきた

私のこれからの10年は
安全 感染 メディエーションだね

2011年9月14日水曜日

サンデル教授の究極の選択

今回の災害の補償を誰か担うべきか

先週の放送番組の録画をようやく視た

議論の焦点は やはり 原発事故の補償だ

議論の論点でぬけていた視点があった

内部被爆 そして 何万年単位の原発廃棄物の処理問題

写真はフクシマから太平洋に放出された半減期30年のセシウム137は 過去の核実験で残留量の10数%に あたるとの 記事

約30年で太平洋を循環すると言う
この論点をいれなければサンデル教授の議論もやや浅い

ユーチューブで話題になった 児玉龍彦東大教授の国の原発政策への満身の怒りのビデオを見ての討論を期待したい

2011年9月13日火曜日

しばらくぶりです

金曜の札幌病院のレクチャー
引き返して 市立函館病院の院内感染防止セミナー

疲れて 爆睡後 当直で
ブログを長く休んでしまった

まあ 二夜連続の 砂の器はしっかり視たのだが(^_^;)

数日前の新聞
あの 立派な 五所川原の立ねぶた にも 原子力マネーが 入っているとの記事

青森県 全体が 原子力に買収されている

青森から 大間原発反対の声は 上がりようがないと納得

2011年9月8日木曜日

3.11後の世界

江差診療所で 震災後直後の雑誌をみつけた

震災から半年たつ
ことに 改めて気がついた
進まぬ復興
被災地から離れる人々
新たに判明したHOTスポットで 原発から 数十キロ 離れてても 被爆のリスクが 高い地域がある

福島市からも 離れる人がたたないと 言う

震災前 と 震災後

世界感がかわった

手塚治虫が書いた 閉鎖された空間でしか 生きることが できない 人類の未来はありえる と言うことだ

未来は明るいと 漠然て描くことは できない

明るい未来は つかみとらなければ ならないのだ

2011年9月7日水曜日

再び

神様のカルテ

28年と5ヶ月
医師をやってきた
よく 努めてきたものだ

危機は あまたある
フェイスブックなるもののお陰で 沢山の 誕生祝いを 頂いた

月末で 函館にきて15年になる
気がついたら
北海道勤医協時代より 道南勤医協時代ねほうが 長くなっていた

2011年9月5日月曜日

バス停のベンチ午後8時50分

終バスの 時間が 6分遅くなり
帰宅に タクシーを使うことがほとんどなくなった

この6分は 大きい

都市の規模にしては 函館は終バスの時間が早い

せめて 市電並にして欲しいのだが

私のように 6分が バスか タクシーの 分かれ目になるの だから バス会社とタクシー協会の しめしあわせかな(`o´)

まあ 以前のように 歩いて帰れば いいのだが(^_^;)

2011年9月4日日曜日

神様のカルテ

実は、原作も原作続編も漫画も発売直後に読みました

研修医時代に戻りたくて映画館に足を運んだんです

泣きました

ストーリーは 知ってるのにね

辻井伸行の ピアノのテーマ曲が 泣かせます

アルプスの山々
味わいのある旅館… 原作は古びたアパートでしたが…
心揺さぶられる すてきな 時間を 過ごしました

この映画観終わると どうも こんな 言葉づかいになってしまいます

2011年9月3日土曜日

煙突の中

函館駅の形が連絡船へのオマージュであることは 説明不要だが

まんなかの 煙突部分を駅改札口から 見上げたところ

無駄なスペースとは 言えないで あろう

我が街 函館の玄関口なのだから

森駅

月一回の 八雲外来


6時起きで 7時5分発だから やはり 眠い(∋_∈)

数々のドクターが 長万部まで 乗り過ごしたと 聞いているので 森駅に ついたら リュックを背負うことにしている

乗り過ごさないように 緊張する

2011年9月2日金曜日

がんセンターに総合内科

6時からの 前進座公演を目指して仕事をしたが(^_^;)やはり 無理だった

チケットは 無駄になったが少しは 応援になったかな

医局に置いてあった雑誌でがんセンター理事長の嘉山孝正氏のインタビュー記事を読んだ
一度 講演を聞いたことがあるが 総合医反対論者と 評価した

記事では、がんセンター病院に慢性疾患管理のための総合内科を併設したと言う

頭が柔軟なのかもしれない

ただ前任の土屋了介氏の総合医構想はスッパリ消えたようだ

写真は よく立ち寄るソバ屋

2011年9月1日木曜日

少々の愚痴

処方されたばかりの薬を紛失した
バス内に 忘れた記憶あり翌朝電話をした
届いてないと
早すぎたかなと 思い
あとで電話かけ直すと 話したら 毎朝 車内掃除をするので 絶対ないと 言われてしまった
一応警察に届けたが
今日になって 薬局に電話が入った
ものごとに絶対はない

岩田健太郎講演会

公人なので 敢えて 岩田健太郎と呼ばせていただく

感染症の最新の治療の基本的考えを いっきに 1時間
スライドなしで 白板だけで しゃべり通した

分かりやすい

たくさん出された 質問には ここぞと 言うばかりに答えた

スリムな体型
健康そのもの

通常 開催される交流会にも出席せず ホテルに直行
飲酒もしないのだろう
元気に 活躍し 今後もさまざまな 活躍をしていただきたい

さよなら講演

さよなら とは 言いたくない 壮行講演と 言いたいとの司会で始まった
研修医の 研修終了講演会開催

1年半頑張って頂いた
明日から 脳外研修
初めての試み我々も楽しみだ