津波が押し寄せた 朝市もどんぶり横丁も復活o(^-^)o
ただ 客足が延びないとの報道
東北だけではなく
日本全体が この震災から 立ち上がろうと している
でも 今まで通りでは いけない
日本人は原発による明るい夜の生活を見直さなければ と考え始めている
函館にて総合診療医を育てる営みをつづっていきます 旧ブログ名 青函圏函館総合診療研修プログラム
今回の津波を受けて 再版されている。
大船渡支援に入った折 岩手から支援に入った医師に紹介された
筆者は大船渡 綾里(りょうり)に 在住 この地には明治三陸津波 38.2メートルの記録が残されている
昭和三陸津波の際 父親が小学の筆者を捨ておいて一目散に 逃げた
母親が 父親を冷たいとなじったときに 津波のときは てんでんこだ と反論した記憶を 講演会で 話したところ 三陸に古くから 伝わっている言葉として 広まったらしい
てんでんこ は てんでん に 東北なまりの"こ"をつけたもの
共倒れにならないように 津波のときは てんでんばらばらに 逃げるのが 暗黙の了解と言うことだ
この震災は 西暦600年代の貞観 以来の震災と報道されていた
この本を読むと 日本は津波大国 と改めて知らされた。
原発を 安全に海岸は 日本はない
正直不便を感じたが
それが あたり前だった時代があった
今 私達の生活はコンビニ24時間営業を前提に営まれている
夜中でも アルコールが欲しくなったら コンビニに走る
コンビニ側も夜中に 荷物の搬入を行う事情もあるようだ
30年前は 文字通り セブン〜イレブンだったのだ
と 言う 私も 終バスから降りてナルトの新刊が発売されていないか チェックをするのだが(^_^;)
市内で準備のための 交流会が もたれた
医療連携先進地を 目指す函館で 医療安全管理者の ネットワークが 設立されるのは うれしい
道南の医療安全と質の向上に寄与する ネットワークに育てたい
写真は 五稜郭駅の跨線橋
大船渡湾の入り口にあたりここでは まだ 津波は高くない
しかし 養殖カキは 重油をかぶり 壊滅的な被害をうけた
大船渡のカキは 築地でも高級品として 高値で取引されていたと 訪問先で聞いた
まだ 青森にいた頃
三陸海岸巡りをしたことがある
美しい しかも 人をよせつけない荒波が押し寄せる
この美しい地形は 長い年月に 繰り返された津波によって つくられたのだろうか
今回の大津波は
明治以降だけでも 4回目の 大津波
今回の規模は 1400年振りとの ことだが
地球の歴史からみると ごく短い間に 何度も大津波が押し寄せる海岸なので あろう
人の営みは大自然とくらべると はかない ものだ
この地にまた 人々の笑顔が 戻ることを 願いたい
大船渡は相模原市と姉妹都市と言うことで
相模原市からかなりの 行政支援が入っている
活動報告は 保健師の訪問報告
三つの 心のケアチーム からの報告
最後に 医療支援チーム
自治医大は大船渡だけで2チームを派遣
他地域をいれると かなり支援に入っている印象
昨日は県立病院からも参加
急性期対応は かなり すくなくなり 時間外受診も 平常に 近づいて
20人程度とのこと
県立大船渡病院は 高台にあり
ガラス張りの立派な建物
無惨に 全壊した県立陸前高田病院と きわめて 対称的だった
平地が少なく 高台を開発しなければならなかったのが
平地が多い陸前高田と
明暗を分けた
大船渡は 行政や県立病院が残ったので 再生は早いのではないか
戦時中とは 言え 日本でもサンデルの講義と同じ事件があったことに 驚いた。
武田泰淳の 小説ひかりごけは あくまで小説だが
軍部が ひたかくしにしたかったこの事件が この小説で 広く知られることになった。
当事者が 亡くなったのは 平成元年
戦後 死刑になってしかるべきと悔みつづけて 亡くなったと言う。
サンデルの正義とは
明日夜 放映の マイケル・サンデルの 東日本大震災白熱教室の討議は
原発問題に どう問いかけるのだろうか
被災者には 申し訳ないが楽しみである
これは 首都圏に住む子供達に 送るために販売されている
店頭にだしたら 直ぐ売り切れると聞いている
日本は水道水がそのまま飲める国だった
今朝のラジオで 放射能含有ヨウ素 除去可能と言う 怪しげな浄水器の コマーシャルが 流れていた
浄水器に蓄積されるであろう放射能含有ヨウ素は どのように処理するのだろう
患者さんから
首都圏の 親族に水を送ってると話してたのを 思い出した
乳児にのみ 危険と言われても 不安で水道水は 飲めないだろう
この機に ばかりと 放射能除染には無効と言われている 浄水器が まことしやかに 訪問販売されるのは目にみえている
エイプリルフールと 笑って済ませられない