2011年12月31日土曜日

ガガ

ガガが出演すると予告されていたので
積まれていた書類をこなしながら
ガガ出演を待っていた

マイブームは と聞かれたら 間違いなく ガガと 応えたい

歌唱力は レオナ・ルイス ビヨンセの方が 上だろう
でも ガガは 茶目っけのあるメイクの天才

そして楽しい歌とダンス

震災後の日本に二度も来てくれたと言う

女性に人気のある女性シンガーは 本物なのだ

震災があった
津波があった
原発事故があった

2011年のブログを占めくくりたい

2012年は この日本を変える 1年にしたい

釧路駅

釧路駅前のホテルからの釧路駅

函館に住んで身として駅前の衰退は なげかわしいがここは 寂しすぎる

建物が 途中で 切り取られなにもない空間

駅前のタクシーも虚しい車列

地方が 力を失ってどうする

日本の 政治のゆがみの結果だ

TTP加入をごり押しする政府は衰退する地方都市を次々産み出していくことになる

私は 黙っているわけには 行かない

実は(^_^;)

カラ も 少女時代も 初めてテレビで 視た

オジさんには やはりAKB48 より
カラと 少女時代の方がいいな(-"-;)

理由は 映倫に ひっかかるからやめておこう(∋_∈)

それにしても 女子十二楽坊は どうしてんだろう

嵐のように やってきて 消えさった

カラと少女時代は 生き残って欲しい

韓国と中国歌手と俳優は 絵に書いたような美男美女ぞろい

私は映画俳優コン・リーは項羽の愛人虞美人の 末裔と信じている

あすという日が

現在 紅白観戦中

震災を乗り越えようと 言う歌に感動

ガガの次に好きな歌手
夏川りみ 登場

秋川雅史とデュエット曲は 初めてきいたが 感涙

猪苗代湖ズ の パワフルな歌も 感動ものだった

しかし 気がついただろうか?

フクシマが苦しんでいるのは 震災ではない 原発なのだ

原発のゲの字も 出さずに 猪苗代湖ズを紹介する

NHKの国民的番組では 原発事故はタブーなのだろうか

政府と東電にこびる NHKの心底をみたような 気がした

ジャニーズ

釧路駅構内の甘味処
昭和の雑誌 平凡がおいていた

ページを開くと なんと
ジャニーズ
何度みても ただの ジャニーズ

ジャニーズなんとかではない
オリジナル ジャニーズだ
ひとりだけ 右上の歌手
あおい輝彦だけ 知っていた

紅白歌合戦 が 始まった

ジャニーズが席巻している
でも これが 本物なんだなo(^-^)o

2011年12月30日金曜日

まだ3時前だが

もう 夕日のよう
朝が早いから 夕方も駆け足で やってくる

懐かしい風景が次々 眺められて 気持ちが 落ち着く

釧路も快晴

正月休み1日目は釧路だ

釧路空港
—1.6 ℃の表示
千歳経由で釧路入り

千歳着が 10分遅れにて 千歳で少々 乗換えに せかされたが 丁度2時間で到着

昨日まで 雪だったが 函館も釧路も 快晴

釧路の冬は晴れて気持ちがいい

今日は サンマの刺身で 一杯 飲みあかすつもりだ

2011年12月29日木曜日

仕事納め

ここ数日のブログの写真は 夜の風景のみ

雪に阻まれ 明るい写真を撮影できない(^_^;)

この数日雪が降り続いている
ぜひ明日は晴れた釧路の写真を掲載したい

今日は仕事納め
今年最後の外来は すいていたが濃厚な患者さんが 多かった

幸い年内のインフルエンザやノロウィルスのアウトブレイクはなく
年越しを迎えることができた

来年 病院機能評価受審をする
今更かもしれないが 小規模病院にとっては 大きなチャレンジだ

新年に向けての決意をかためる正月休みにしたい

2011年12月28日水曜日

既視感

この写真を見て 既視感にとらわれた

警察庁 公安が
共産党本部前のマンションに 隠し録りカメラを設置

それが発覚し公安が深夜に カメラを抱えて 逃走したところをしっかり 顔写真を撮られた
と 言う事件が 10数年前に起こった

ものの搬出と搬入と言う 違いはあるが

深夜にうごめくのは やましいから と言う 所が一致している

民主党政権の瓦解

大震災にも関わらず
ちょっと ひんしゅくものの ブログを書いてきたが

2011年最後の決定打
野田政権もまた 短命政権となること 必定となった
我が家は 朝日新聞にて 函館では 夕刊はない

号外級のビッグニュースは夕刊に載ることが 多く

帰宅時にコンビニで夕刊を買うことが たまにある

ネットでは 知っていたが深夜にこそこそ

これは 民主党政権もまた アメリカいいなり政権であることを露呈した

自民党政権がやりたくてもできなかったことを
やつぎばやにやって財界の御機嫌とり

今や品位と誠実さをもっている政治家は共産党議員だけ

2011年12月27日火曜日

2011年

写真は函館競馬駐車場

夏に角の土地を取得して広大な 駐車場になった

競馬場前のコンビニは重宝していたが つぶれた

競馬場と競馬駐車場に三方囲まれていたから 客は土日の競馬開催日しか入らない

それに 決定打は 学園通りの反対側に 同じ系列のコンビニができたこと

フランチャイズ性 だから 系列会社は 損はしない

ライセンス料で食ってるから個々の店舗が倒産しても 借財は店主にかかるだけ
まあ 博打の胴元は損はしないのだ

節電日本で 節電しないのはコンビニと自販機

この二つは 私達から 健康と 時間を奪ったのだ

これも 原発が支えて来た

2011年12月26日月曜日

2011年

今年は根雪が早い
家路で つらつら今日の会議に提出された報告書を反芻した

福島わたり病院の集会に参加したスタッフの報告書

政府の原発収束宣言にはほど遠い現実

原発から 50Km以上も離れているのに 爆発当日の風向きで 不幸にも ホットスポットになってしまった

小さな子供を抱えてやむなく福島を離れたスタッフから 泣きながら戻りたいと電話が来る…

そんな電話の相手なんかしてられない位現場は忙しいのに やはり つき合わない訳には いかない

横浜に転居して子供が ばい菌と言われ イジメにあうと言う

残ったスタッフもこの地で 生きて行かなければならない不安
除染なんて気が遠くなる作業
除染して 安心して生活出きるようになるのか

福島が縮んでいく
不条理な世界

アメリカが原発二基の建設を認め 一基は 東芝に発注すると言う

資本主義の論理は今儲かれば いい 後は野となれ山となれだ

核の平和利用と言う まやかし

報告書を読んで胸がつまった

この時代に 今 私が生きている

私はもっと学び そして行動しなければならない

2011年12月25日日曜日

2011年

イブの前夜 少々ハメを外して数年ぶりに二日酔いを味わった

もがき苦しみながら年賀状を書き終わり投函
長い一年が終わった
3日ぶりのブログ書き込みだ

函館駅は華やいでいる
人の出入りも多い

この函館駅から連絡船が消え 駅前がこんなに 寂れるとは 誰か想像していたのだろうか

対岸の青森駅は奥羽本線の終着駅として残るが 20年後には この駅は JR駅ではなくなる

その頃私が生きているのかは 疑わしいが

札幌一極集中が更に加速され 函館はただの田舎町に なるのか
それとも 魅力ある北海道の玄関として生き残るのだろうか

今年が長く感じたのは もちろん震災のためだ
きらびやかなイルミネーションも 今年は 自粛気味

我々は華やかな都会生活が原発に支えられたものと知った

いつか 地方の時代が来る

そこに住む一人ひとりが 土地を愛し 人を愛し
四季を愛でることで地方は再生する

危機への対応能力のない民主党政権は来年崩壊する

2011年こそが 本当の意味での 21世紀の始まりと振りかえられることになるだろう

2011年12月21日水曜日

謎ディナ最終回

朝日がきれい
函館も 冬の晴天は冷え込みが厳しい

インフルエンザ ノロウィルス感染の足音が 聞こえてきた

正月休みを挟んで外来も枠外まで ハミだしで予約が 入っている

正月明けもまた予約オーバーだ

まあ この厳しい医療情勢下で 予約オーバーは 感謝しなければならないのだろう

気がついたら 日付が変わってしまったが

帰宅して謎ディナ最終回を楽しんだ

原作の要素を取り入れながら 遥かに複雑なストリーに仕上がった(拍手)


嵐の桜井は神様のカルテ

北川景子は 藤沢周平原作の 花のあと で知ったが

今回は それぞれが全く違うキャラ

俳優さんってのは 楽しい仕事だね

新年は この枠で 竹内結子で ストロベリーナイトの 翻案が連ドラ化されると予告があった

ストロベリーナイトは 原作も 最初のテレビドラマも視たが また 視るだろな

どうも 私は いつの間にかテレビっ子になってしまったな(-.-;)

2011年12月19日月曜日

我が家のワンコ

シーズー
名前は ココ

帰宅すると 必ず出迎えに走って出てくる


実は 目的は オシッコ

外に連れだして
オシッコをさせるハメになる

妻が必ず死んだふり を読んで公表することにした

家に帰ると必ずワンコがオシッコにつれだしてと走ってきます(`ε´)。

羽田午前5半

早朝出発便に搭乗するため 羽田空港に 5時半着

月曜朝出発でも 午前外来に間に合ってしまう(^_^;)

震災前もこの便はよく使っていたが
ロビーは 薄暗い

いまだ 節電が続いている
震災後の日本だ と言うことを強く意識する

2011年12月18日日曜日

東京の朝

10時に就寝なんて ほとんどないが

ベッドに潜り込んだら 寝てしまった

お陰で 5時起床

雪のない風景

夏は函館
冬は南に なんて渡り鳥みたいな生活もいいねo(^-^)o

今日は 医療メディエーターのセミナー
IPI分析のみの 講座だ
来月の応用編受講前の準備のつもり
和田・中西のIPI分析はオリジナルのハーバード大学由来の理論とは異なった独自の発展をしてきた

経済プライマリ・ケアの ナラティブ ベイスド メディスンの理論と結びついたのだ

メディエーションの実践はつらい仕事だが この分野の理論追求は 楽しい

2011年12月17日土曜日

羽田に向かう機内

題名が気になり空港で購入

ヤフー知恵袋からはじまり→ ブログ連載→本の出版

第二版になるから 売れてるのだろう

結婚の経過も運命的だが
たんたんとした日々の中でのチエさんの パフォーマンスが 楽しい

ジャンルは
ライトノベルなのだろが

実は実話なのかもと 思うと こんな 生き方も 楽しい(*^_^*)

熱中して読んで 一眠りしたら 羽田着

お勧めの 一品だ(-^〇^-)

うーん~

昨年 開催を断念した 望年会
日程が発表される前に
セミナー受講を申しこんだ(∋_∈)
今頃は 二年分の 盛り上がりだろな
私は 羽田着
これから宿舎に向かう
今年の望年会こそは 参加したかったな
まあ 芸の披露はさけて 芸の観戦に専念したいとこだけどね(*^_^*)

ひのき屋ライブ

ひのき屋ライブにいってきた

耳疾患に かかってから 太鼓の音が 苦痛になり
ひのき屋ライブから 遠ざかっていた

何年ぶりだろ
ひのき屋も芸域を拡げエスニック民族音楽

しばらく みてない うちに 異次元の プロフェッショナルに成長した

最近はダンスミュージックも始めたとのこと
マイムマイムは 会場が沸いた

私はくじ引きで 1等賞チェコのワインを引き当てた
お礼の 差し入れしなきゃ(*^_^*)

2011年12月14日水曜日

感動フラメンコ

医師会二区忘年会

フラメンコダンスが 披露された

フラメンコギターが素晴らしい

フラメンコのタップの音も軽快だ

踊り手は 日本人だが
本場の香り漂う 興奮の一夜だった

冬の散歩道

サイモンとガーファンクルを 最初に意識したのは 冬の散歩道 から

振り返ると 解散前夜だろう
少し 遅れて ファンになった

今は ユーチューブで ダウンロードの 時代だが 当時は FM放送 エアチェックで カセットテープの時代

レコードを買う 小遣いを惜しみながら エアチェックに 励んだ

当時のカセットテープは 綺麗に 曲名を書き込み
雑誌の写真でラッピングしてあり 今も 私の宝物になっている

ノイズは入るが
かつての方が 豊かな音だったような気がする

デジタル化が 進むにつれ 音楽は 大切な財産から 消費するものに 変わってしまった

2011年12月13日火曜日

根雪かな(^_^;)

昨日の大雪は道央では 大変な事態になってたとのこと
それに比べたら 函館の雪はチヨロイかも しれないが
冷え込みは 厳しい

少し早いが 根雪の気配だ(∋_∈)

控え目な市電の電飾もはじまった

忘年会にクリスマス 大晦日

師走だね
昨年お流れに なった 忘年会も 今年は なんとか できそうだ

先日の新聞で
今年は忘年会に 望年会の字を使う企業が でてきたと 書いてあった

我が北海道民医連は 20年来 望年会を 使ってきたのに(*^_^*)

ちと とりあげて 欲しかったな

各セクションの出しものの練習も 力が入ってきた
祈望年会 成功♪

2011年12月12日月曜日

ブログと日記

日記を書くことは 子供の頃から 何度も挫折してきた

1月の医療メディエーターA認定取得
7月のプライマリ・ケア認定医受験
そして 11月の病院機能評価受審

来年の課題を のりこなすために ダイエットに体力向上そして 自己研鑽目的で 日記を書き始めた

ブログは 日々の記録だが 自分からのメッセージを 世に問うこと

日記は 自己研鑽のための内省

減量は 目標を下まわってはいるが1ヶ月で 1.5 kg
自然体で取り組めている

日記は どうも 詰まっている

野口悠紀雄にならって メールで日記を書いて自分に送信すると 日付管理も甘く行く

しかし Gmail は 全文を自動的に データ化しているので 自分の日記が 全文スキャニングされてると思うと不気味

手書きの日記帳は 自分の字を読むのが苦痛で何度も挫折

日記のフリーソフトは 操作を覚えるのが面倒な くらいマニアック

と言う訳で テキストを気楽に管理できる 紙copiに 落ちついて 安定して 書きだした

てな訳で 外向けのブログと内省の日記
の折り合いをつけるのに ブログをサボってました(^_^;)

でも メーリングリスト投稿やツイッター、フェイスブックは どうも 私の生活の中には 定着しない

それはそれ
あれはあれ

あれはあれでよかった♪
は PIPC …プライマリ・ケアでの精神科診療
の 決め言葉だね♪

2011年12月11日日曜日

競馬場前電停

最近 日曜当直が続き(^_^;)久しぶりの当直なしの休日
ぶらり と 市電に乗った

競馬が終わった時間で混み合っている

この電停は 競馬場の寄贈だろう

市電電停の中でも 一番豪華で ランタンが綺麗だ

線路の改修も少しづつ 続き 函館市は市電廃止は考えていないようだ

人口減にともない
市電の乗客は減少一路

市電は函館の財産
いつまでも残って欲しい

2011年12月10日土曜日

二上山・フタカミヤマ

写真は 函館山の夕日

この光景をみて 折口信夫 『死者の書』を原作にした川本喜八郎作の人形劇中の二上山を思いだした

藤原郎女(イラツメ)は斬首される直前に観た耳面刀自(ミミノモトジ)の美貌にひかれ この世に未練を残しながら 息絶えた大津皇子の幻影を 二上山に見い出した

藤原郎女は 写経をして大津皇子の さまよう 魂を鎮魂する
それだけ の ストーリーなのだが
味わい深い作品だ

その場面を思い出すほど 函館山に沈む夕日は神々しかった

大津皇子は天武天皇の第三皇子
兄の皇太子である草壁皇子の計略にはまり24才で斬首された

体格もよく 文武両道
人望も高く 草壁皇子にうとまれ計略にはまった

ごくらく亭

病院近くの 洋食屋
いつもは
終バスに 乗遅れたときだけ この店の前のバス停から 乗り込む

今日は土曜にて 昼の写真が 撮れた

久しく入ってないな

病棟にお願いして
宴会ひらいてもらお♪

2011年12月8日木曜日

病院機能評価受審活動

あおもり協立病院
副院長が 来函♪

海光坊にて 病院機能評価受審の ノウハウと
ISO受審取得の意義を学んだ
事務局としては 具体的に展望を身につけた

電子カルテが導入され関連必要文書がすべて電子化されている

我々も それほど 遠くないポジションにいる

病院機能評価受審がみえた一晩だった

2011年12月6日火曜日

胃ろう見直しへ

昨日の 朝日新聞から

全国で 40万人いると言う 胃ろう 患者

厚労省と老年医学会が 見直しを提言するらしい

栄養摂取ができなくなった患者さんに 胃ろうを 選択しないとの選択肢を加えると言う主旨の報道だ

当院は理事長主導で倫理委員会で 胃ろうの 選択についてのガイドラインを作成した

厚労省の 意図が真に 倫理的な観点からの議論なら 賛成するが

医療費削減を意図したものではないかとの 疑念が払拭できない

2011年12月4日日曜日

超整理法からクラウドへ

書類をA4の封筒に入れて時間順に管理する
この単純な発想での書類整理と破棄を提唱した野口悠紀雄氏が 最近は iPhone クラウドで 仕事を整理しているそうだ

昨日の 感染対策セミナーからの帰り道 市民生協文教堂で 発見した

タイピングから 携帯テンキーをマスター
携帯で 挨拶文の原稿程度は 記載できるようになったが

これからは スマホの時代
来年秋からはDoCoMoからも iPhone が 発売されるらしい

いよいよ タッチパネル入力も マスターしなきゃなんないかな(^_^;)

2011年12月2日金曜日

医療メディエーター

医療メディエーター応用編受講のために 提出したレポートの合格通知がきた

二年越のチャレンジで念願の最終ステージ(^o^)/
A認定が取得できる

ナラティブが キーワードで メディエーターと家庭医療学は つながる

テキストの最終版も発行された
しっかり勉強しよう

写真は帰り道のハセスト
周囲に やきとり弁当の芳ばしい香り

ダイエット中の私にとって厳しい道中だ

2011年12月1日木曜日

朝の緑園通り

学園通りと緑園通りの交差点

写真の左側は 以前はうっそうとした林に囲まれた古い屋敷だった

今はきれいな団地に生まれかわった

徒歩通勤の時は ここから 緑園通りに入り 五稜郭公園向かうのだが(^_^;)

今日は 朝のネットカンファランス遅刻気味にて横目でちろりとみて そのまま産業道路まで駆けあがった

ダイエット目標は 目標の半分のスピードで 進行中

まあ 体重は減ってきているので よしとするかo(^-^)o